浅間神社(中橋裏)の狛犬 |
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神社やお寺巡りの好きな方なら、一度は「名古屋塩町 伊藤萬蔵」と筆太の文字が刻まれた灯籠や花生などを目にしているだろう。気にして見ていると、至る所にある。 これだけ多くの物を寄進するには、相当の財力がなければ叶わない。どんな人なのだろうか。 |
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伊藤萬蔵は塩町四丁目、五條橋より少し北の美濃街道沿いに店を構えた米商人だ。天保4年(1833)に中島郡平島村(現:一宮市平島)で生まれた。 家が貧しく名古屋へ丁稚奉公し、その後独立、米商人として大成功した。明治10年(1877)8月に名古屋米会所(後の名古屋米穀取引所)が出来たときの記録では、「仲買人、伊藤萬蔵始め20数名」と記されており、名古屋きっての米仲買人になっていたようだ。 信仰心の高い萬蔵は、各地の神社仏閣に石造物の寄進を始めた。総数1,000基近いと言われ、多分全国一多い寄進者ではないだろうか。 昭和2年(1927)に95歳の長寿を全うした。愛知新聞の昭和2年2月4日号に、三井銀行名古屋支店長を務め、その後中部財界のご意見番と言われた矢田績の追悼文が載っている。 「……車中色々の話を交へたが、平生の養生法は別に是と云ふ事は無い。唯早く寝 早く起き、酒煙草は嫌ひ、常に信仰せば其れで長命は出来る。鳥居や石灯籠は随分沢山寄進したが、マダマダ寄進したい場所はいくらもある。毎年予算を立て、数を定め、追々と寄進する積もりであるなどと話する中に、翁は用事があるから乗替へだと、東新町で下車し分かれたのである。……」。 事業と信仰に全力で生きた人である。宅跡は現在駐車場になっている。 |
2022/05/06 |
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